【困難、地獄】飲食店経営の軌跡 Part3

1.飲食店

こんにちわ。 ニコニコ侍です。   

私は、先日自己破産が終了しました。   

起業から20年。今思えば、地獄の日々でもありましたが、貴重な人生を生きてきたなと思います。   
  
その人生を振り返って、すこしでも、同じ境遇の人の励みになればと思い、書いています。   

この章はPart3なので、1、2の続きになっています。

先にそちらをご覧下さい。


  
【困難、地獄】飲食店経営の20年の軌跡 Part1
  
【困難、地獄】飲食店経営の軌跡 Part2

この世に神はいる?奇跡がおこる

建築費用5000万の支払いを準備する。
という、任務を負った私ですが、現実に阻まれ、心を病みました。
   
完全に人間不信に陥り、引きこもり。
  
ネットゲームに逃げて、完全に人生の現実逃避しました。
   
毎日毎日、深夜おそくまで、そして、朝おきたらゲーム。
一日16時間。寝る以外はすべてゲームをしていました。
   
その時間だけは、「人」としていられたのです。
もし、ゲームに現実逃避していなければ、自殺していたかもしれません。
そのような、危険な心理状態でした。
   
しかし、現実は甘くなく。刻一刻と支払い期限が迫ってきます。
そして、支払い期限がのこり1週間と迫った時、何を思ったのか
  
母が、「祖母の墓参りに行こう」
と言いだしたのです。
   
私は、自暴自棄になって部屋に引きこもっていましたが。母の剣幕に、気圧されしてしぶしぶついていきました。
    
そして、祖母の墓標の前に立ったときわたしは、必死に報告しました。
  
「ばあちゃん。ごめん。会社潰れるかもしれん。みんなを路頭に迷わすかもしれん。」
私は、泣きながら手を合わせたのを覚えています。

そして、そのまま帰路へ。
   
そして、家の前についたとき、家の中で電話が鳴り響いていました。
   
「もしもし」私は出ました。
   
それは、支払い期限が1週間とせまっていた、建築会社の責任者の方からでした。

「大変とおもうけど、建築費用は準備できたかい?」
   
私は、一瞬動揺しましたが、正直に打ち明ける決心をしました。
  
「すみません。四方八方てを尽くしたのですが。支払うことができません。すみません」
私は、泣きながら打ち明けました。
   
「よしわかった。正直に言ってくれて助かった。まだ支払い前だから打つ手はある!今から出てこれるかい?」
   
私は、建築会社に向かいました。
  
「いろんな事情があるのは、知っている。当社にも責任が少しあることも知っている。
一緒に、頭をさげて、本社に借りに行こう。毎月いくらなら払えるかい?」
  
と責任者のかたが言ってくれました。
  
「月に100万なら払えます。」
  
「よしわかった。契約書と手形は切ってもらうが、君を信じよう」
  
その建築会社は、一部上場企業の子会社でした。何の縁もゆかりのない一部上場企業から何と5000万円貸してもらったのです。(無担保で)
   
奇跡的に、私の首は繋がりました。
  
しかし、私の心は完全に腐っており、現実に戻ることはできませんでした。
なんと、そのまま1年間。部屋に引きこもったまま。
ゲーム依存から抜け出すことができませんでした。
   

あれから1年が過ぎ。社会復帰する。

1年間。365日。完全に廃人になった私は、正月もすべて、365日一日18時間現実逃避としてのネットゲームに依存しておりました。
   
その間も、新店舗は、大繁盛し、会社の決算では、過去最高の3000万の営業利益を計上した!とも聞きましたが、腐った私の心には他人事のようにしか届いていませんでした。
  
とある日、私のもとへ一本の電話が。
  
「店長がお店を完全に私物化し、いずれオレがこの店を乗っ取ってやる」
と言っているとタレコミがありました。
   
私が、苦労して立ち上げた最初のお店でした。
   
私は、すぐに店舗へ行き、店長に問い詰めました。
すると店長は、あっさりと認め。逆ギレして
「文句があるなら辞めますよ!ただ、自分がやめたらスタッフ全員やめるかもですよ!」
  
と啖呵をきってきたのです。
   
私は、こう言い放ちました。
「いままでの功績はみとめる。欲しければくれてやる。ただし、正規の値段で買ってもらう。そのお金を用意してきなさい。」
   
私は、彼に【3000万円】を提示しました。
   
彼は、必死に金策をしたみたいですが、3000万はおろか、1000万すら用意出来ない現実をしりました。
   
「こっちは筋を通した。言った以上責任はとってもらう」
   
彼は退職し、私は不在となった初期のお店の責任者として、社会復帰しました。
   
ちなみに、彼が退職すると全員辞めると勘違いしていただけで、誰ひとり退職するものはいませんでした。
   
そのあと、この初期のお店が、大繁盛店に化けるとはそのとき誰も思っていませんでした。
   

ゲーム依存症についての記事を別で書いております
  
興味がありましたらそちらもご覧下さい。

【病気】ゲーム依存症!治したい。【完全治癒】

  

社会復帰してからの快進撃

店長の退職により、現場に復帰した私は、また仕事の面白さを思い出し、がむしゃらになって働きました。

(完全にゲームを引退したわけではありませんでしたが、引きこもりからは脱出しました)
 
「いろいろなひとにご迷惑をかけた。頑張って、借り入れを返済していこう。」
   
当時、銀行やリースなどで1億5000万近くの借金があったのを覚えています。
銀行返済だけで、毎月200万、新店の建築費用の返済で100万。
   
いくら頑張ってもお金は残りませんが、一度も返済を遅らせることは、ありませんでした。
   
徐々に、新店のオープン景気が終わりをつげてきて、売上が1000万程度を行ったり来たりするようになってきました。
  
私は、初期の店舗の責任者についたあと、次々と施策をうち、お店を磨き、新店舗の売上を抜き去りました。
   
そのあと10年以上、初期店舗は繁盛店としてその地域になくてはならないお店に成長していきました

✔初期のお店の売上推移

平成13年 年商 12770万←店長退職、現場復帰
平成14年 年商 13930万
平成15年 年商 15288万
平成16年 年商 15276万
平成17年 年商 14029万
平成18年 年商 13941万
平成19年 年商 14090万
平成20年 年商 13490万
平成21年 年商 12329万←同業、ライバル店出店
平成22年 年商 12089万
平成23年 年商 12138万
平成24年 年商 11631万←4号店 出店
平成25年 年商 11305万

銀行借入も滞りなく返済していきました。
しかし、平成21年。順調に思われたお店に、ついにライバル店が現れたのです。

大企業と真っ向勝負!

10年近く、地方で繁盛店No1を自負していた私のお店ですが、ついに大企業が動き出しました。
   
当時、全国飲食店企業ランキング20位以内に入っている、地元が本社のレストランが、私のお店と同じコンセプトのお店を、なんと500mしか離れていないところへ出店をかけてきたのです。
   
その会社は、全国に数百店舗を持つ企業でした。
 
そのお店が、私のコンセプトのレストランをそのままコピーし、全国展開をスタートするための第一段階として、私のお店を潰しにやってきたのです。
(関東で一店舗先に出店したら、大ヒットしたらしく、すでに200店舗作る計画が進行中との情報でした。)
   
「相手にとって不足なし。」
   
まあ、ぶっちゃけ、象とイエダニぐらいの企業差はありましたが、私は負けるつもりはさらさらありませんでした。
   
そのライバル店の責任者で、大幹部の人物が連日私のお店を訪れてこう言いました。
   
「わかってるよね?こっちは本気だから。申し訳ないが潰させてもらうよ」
  
しかし、私は信じていました。
会社が大きかろうと、利益構造は一緒だ。サービスには優秀なスタッフがいるし、料理人をしっかり育ててきた私のお店が勝つ!
  
ライバル店オープン日。
   
私は、一切の販売促進をしませんでした。そして、オープン日にお店を休みました。
人口の少ない地方です。当然、目新しいお店のオープンはめずらしく、皆が大挙して押し寄せました。
   
ライバル店はあまりの忙しさに、スタッフは疲弊し、お客様に迷惑をかけ、悪評がとどろきました。
   
そろそろかな?
   
私は、1ヶ月をすぎたあと、お客様をとりかえすべく、巨大なキャンペーンを展開しました。
  
あまりに大きなオープン景気に湧いて、スタッフを増員したライバル店に、今度は、ジェットコースター並みの売上ダウンを浴びせました。
   
こちらは個人オーナーの小さなお店。しかし、相手は立派な企業。当然、計数管理は徹底されているはず!売上が下がれば、人件費を削らざる負えない。
   
そう読んでの、攻撃でした。
  
私の読み通り、売上の下がったライバル店の士気は低下し、一番大切な、オープニングスタッフが退職しはじめたのです。
   
「これは勝ったな。」
   
従業員をリストラし始めると、まっさきに優秀なスタッフが去っていくと私は、知っていました。残ったのは、行き場のあまりない優秀でないスタッフ。
   
たった500mに同じ規模のお店ができたので、こちらに被害がないわけではありませんでしたが(年商1000万程度ダウン)、潰されることはありませんでした。
   
  
その後、そのライバル店はどうなったのか?
   
最終的に、売上は当初のもくろみの3分の1以下。数度のコンセプト変更をした後に、閉店しました。
   
特定されそうなので、あまり詳しくは書けませんが、200店舗の計画も白紙となり、怒ったオーナーが、その会社を他の会社に売り渡しました。
    
イエダニが象に勝った瞬間です。
    

新店舗の危機

新店舗の、オープン景気は2年間続きました。そのあと、ゆっくりと下がり始めましたが、私を困らせる大事件が起こりました。
   
なんと、目の前の道路(交通量の多い幹線道路)の上に有料の高速道路を通すという工事が始まったのです。
   
「その工事はいつおわるの?」 
   
「かなり大規模な工事で、目の前の道路をきれいに直したあと、橋の足をつくりその上に高速道路を作ります。工事完了は10年後です。」
   
「え!!!!!10年後!!!!!」
   
そのあと、工事が開始され、お店のまわりは、足場で囲まれました。
  
そして、最悪なことに片側2車線の幹線道路がなんと、片側1車線。ひどいときには、片側交互通行になったのです、、、、、
   
あまりの交通渋滞に、皆、迂回路を使います。交通量は激減しました。
   
新店のまわりのお店は、あきらめてつぎつぎと移転や閉店していきました。
   
売上も当然、ガタ落ちし、月商600万~800万程度をうろうろするまで落ち込んで行きました。
   
「会社のピンチを救ってくれた、大切なお店だ。閉店はしない。なんとか10年耐えよう。利益は期待できないが、なんとかトントンで踏ん張って欲しい。」
  
私は、維持する決心をし、銀行返済などは、すべて、初期のお店(本店)で稼ぎ出していったのです。
   

  

少子高齢化の波が襲ってくる

平成20年半ばあたりから、時代が動き始めます。
ちょうど、団塊の世代が年金ぐらしをはじめたころから
ゆっくりと、売上がさがりはじめたのです。
  
私は、出店を控え、ひたすら本店で、銀行返済を稼ぎ出す日々を送っておりました。
   
当初、1億5000万ちかくあった借り入れも、7000万程度まで減りました。
   
しかし、そのあたりから、毎月の銀行返済以上稼ぐことが厳しくなり、返済しては、足らない資金を借り換えるを繰り返すようになってきました。
   
「うーん、、このままでは、、いつかキャッシュフローが無くなってしまい、銀行に返済できなくなってしまう。なんとかしなければ。」
   
私は、小さな資金で小さなお店をはじめてみたり、他のお店を買い取って運営したりしてみましたが、いずれもうまくいきませんでした。
   
小さな出店や、買収などで、資金繰りはますます厳しくなっていきました。
  
業者の支払いや、家賃などが期日内にはらえず、遅延しはじめました。
   
「このまま放置すれば、必ず潰れる。なんとかしなければ」
   
飲食店をはじめてから、すでに40歳。すでに15年の月日が流れていました。
  
ここから、人生で一番濃い、過酷な5年間がはじまろうとは、
当時の私は夢にも思っていませんでした。

    
まだまだ続きます。



【困難、地獄】飲食店経営の奇跡 最終章Part1

  
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コメント

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